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【癌(がん)を克服した有名人・芸能人】発見から闘病、完治までの体験談まとめ|随時更新中

癌にかかって闘病したのち、病気を克服されて元気に活躍されている有名人の方はたくさんいます。

今回は、そうした癌経験者の有名人の方々の、癌の発見から治療の経過、完治までの情報をまとめてみました。

この記事は随時新しい情報を更新していきますので、がん予防がん治療の参考にしていただけたら嬉しいです。

目次

癌(ガン)を克服した芸能人

堀ちえみさん(舌がん)

歌手でタレントの堀ちえみさんが舌の違和感に気付いたのは2018年の6月でした。

「口内炎らしきものができた」と感じて、かかりつけの内科でビタミン剤を処方されます。しかし、痛みはおさまらず口腔外科や歯科医などを受診しますが、その口内炎らしきものが良くなることは無く、だんだんとしこりのように硬くなり範囲も広がっていきます。

不安がる堀ちえみさんに歯科医がかけた言葉は「大丈夫、大丈夫。根が深いんだよね。レーザーの種類を変えてまた焼きます。それよりも、もうそろそろホワイトニングをやったほうがいいよ」と、なんともお気楽な言葉。

でもやはり自分の身体の異常は本人が一番感じるものですから、納得がいかずにリウマチ科や産婦人科にまで相談。

ただ、堀さんの不安をよそに、どの医師も「大丈夫、異常なし」との回答だったそうです。

その年の年末、あまりの痛みに水さえ飲めなくなった堀さんは、それまでとは違う大学病院にかけこみます。すぐに行われた簡易検査のあと医師から告げられた言葉は「所見でステージⅢ、リンパ節転移が認められたらⅣ」。やはり舌ガンだったのです。

手術では舌の6割以上と首のリンパ節を切除。3日間は集中治療室から出られない、大変な手術でした。

切開した首も大きく腫れ上がり、あちこち管が通っていました。あまりの辛さに、「これはもう、生きていても地獄だ」と思いました。

堀ちえみ独占インタビュー|文藝春秋デジタル

術後、大変な治療とリハビリを続ける堀ちえみさんに知らされたのは「食道にも腫瘍がある」という検査結果でした。ただ、幸いにも内視鏡で取り除けたということで、身体の負担は軽くすんだそうです。

その後はお子さんのために必死にリハビリを重ね、頑張ってお喋りされている姿がテレビでも少しずつ見られるようになりましたね。

これまでにもリウマチや神経障害性疼痛、特発性大腿骨頭壊死症など、大きな病気をたくさん経験してきた堀ちえみさん。

舌ガンをなんとか克服されて、これからはつらい病気にかからないで健康に過ごして欲しいですね。

小倉智昭さん(膀胱がん)

朝の人気番組『とくダネ!』のMCとして知られる小倉智昭さんが癌と診断されたのは2016年の事。初期の膀胱がんでした。

2016年5月13日に『とくダネ!』の番組内で自ら膀胱がんであることを公表。手術の為に1週間の休養に入ります。

その後、元気に番組復帰を果たし、順調に治療が進んでいると思われていましたが、2018年11月に膀胱がんの全摘出手術を受けることをご本人が公表したのです。

実は2016年の手術では膀胱がんが完治していなかったという小倉さん。激しい出血や膀胱炎など、さまざまな症状に悩まされていました。

当時から医師には「全摘(手術)をしなければ完治しませんよ」と言われていたが、「どうしても膀胱を温存したくて」と免疫療法などもしていたことを明かした。だが、今夏に激しい出血があり、止血手術のため「夏休みを取ったと言いながら病院に入院していた」と小倉さんは打ち明け、10月にも20日間ほど膀胱炎を併発したこともあり、全摘することを決意したと話した。
https://dot.asahi.com/wa/2018110500053.html?page=1

「根治を目指す」という強い決意で、手術とリハビリの為に長期休養に入り、2019年1月7日に無事番組復帰を果たした小倉智昭さん。

排尿障害など、つらい症状はまだあるようですが、「体の中に癌が無くなったことでホッとした」と、『とくダネ!』の中で語っていました。

竹原慎二さん(膀胱がん)

ボクシングの元チャンピオン竹原慎二さんは、2014年11月にステージ4の膀胱がんであると告げられました。

その時点でリンパ節への転移があり、「何も治療をしなければ余命は1年」と宣告されてしまったのです。

そもそも竹原さんは、約1年前には自身の異変に気付いていました。

排尿時の痛みや、血尿など、「これはおかしい」と思うことが続き、何度も病院を受診していましたが、担当した医師が不誠実な人だったようで癌を見落とされてしまったのです。

ステージ4の膀胱がんと診断された竹原さんはセカンドオピニオン、サードオピニオンを重ね、最終的に元ボクサーの畑山隆則さんの勧めで東大病院で手術を受けることになりました。

東大病院へ転院する時には前の病院で冷たい対応をされたようですが、それでも自分の命を守るためには仕方ないですよね。

竹原氏はB医師の病院から東大病院に転院するときに、ひどい仕打ちも受けたそう。
竹原氏の病状について聞かれたB医師は「東大(病院)に行くんでしょ? 治療がうまくいくことを祈ってますよ。もうそれしか僕には言えないね」と冷たく突き放されたとのこと。
この体験について、竹原氏の妻・香織さんは「なんでこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだろう」と「ちょっと悲しくなった」と振り返っていた。
竹原慎二氏 がん闘病中に医師から受けた冷たい仕打ちを明かす – ライブドアニュース

東大病院に移った竹原さんは、抗がん剤治療の後、「ダビンチ」という最先端のロボット手術で、膀胱を全摘出して小腸の一部を膀胱にする大手術を受けました。

術後の痛みは相当なものだったようですが、手術から3年後にはホノルルマラソンを完走するなど、順調に回復しています。

最初の医師の診断では癌を見落とされ、東大病院を紹介されるまでは夫婦で大変な思いをされたようですが、後輩の畑山さんのおかげで良いお医者さんと出会えて、手術もうまくいって本当に良かったですよね。

仁科亜季子さん(子宮頸がん、胃がん、大腸がん)

女優の仁科亜季子さんは、これまでに様々ながんで闘病を経験しています。

仁科さんが最初に発症したのは子宮頸がん、38歳の時でした。

海外旅行中にひどい食あたりを起こし、帰国後にかかりつけの病院を受診。診察のついでに生理不順を相談したことが、子宮頸がんの発見につながります。

子宮と卵巣、リンパ節まで手術で摘出した仁科亜季子さんは、抗がん剤と放射線治療を受けるため4カ月入院します。

壮絶な闘病期間を経て子宮頸がんを克服しましたが、その数年後には胃がんが発覚して胃の3分の1を切除。2008年には悪性腫瘍(ジスト)の切除手術を受けます。

そして、3年前は大腸がんで、腸の20cmを切除しています。

度重なる癌との闘いに精神的にも追い込まれた仁科さんですが、子供さん達の存在で、ずいぶん救われたとインタビューで語っています。

いろいろありましたが、今は孫の成長が楽しみです。孫が成人するまでは元気でいたいと思っています。ストレッチやボイストレーニングに通い、去年は歯の矯正もしました。一生、自分の歯で食べ、自分の足で歩くのが目標です。
4回目の手術前に遺書 仁科亜季子さんが振り返る“壮絶がん治療” (日刊ゲンダイDIGITAL) – Yahoo!ニュース

内田春菊さん(大腸がん)

漫画家・小説家の内田春菊さんは、24歳、20歳、17歳、15歳と4人のお子さんを持つシングルマザーとしても有名です。

そんな春菊さんに大腸がんが発覚したのは2015年12月でした。

便秘の後の血便でクリニックを受診した時、春菊さんはてっきり痔だと思っていたそう。

内視鏡検査で異常があると言われ、詳しい検査を受けた後、「大腸がん」であることを宣告されます。

しかも、がんの位置が肛門に近すぎるということで、手術で癌を摘出したあとは、人工肛門になるという試練も待っていました。

大腸がんになったことよりも人工肛門になることの方がショックだったという春菊さんですが、お子さんの言葉に励まされ、前向きな気持ちになれたようです。

手術3日前に入院した日、内田さんは、主治医の説明を聞きながら「私ってがんなんだ」とあらためて思ったが、同席していた次女がすぐさまこう言った。
「かあちゃんが変わるわけじゃないから」
 がんは喜ばしいことではないけれど、家族の存在に感動した一コマだった。
内田春菊大腸がん闘病記 「私、人工肛門になっちゃった」 (3/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

2016年4月に大手術をした春菊さんですが、術後の経過も良く、今は人工肛門についても割り切れるようになったそうです。

内田春菊さんは、大腸がんの闘病記をマンガにしています。

和田アキ子さん(子宮がん)

和製リズムアンドブルースの女王と呼ばれ、バラエティ番組でも活躍する和田アキ子さんが子宮がんと診断されたのは1981年、31歳の頃でした。

当時すでに人気者だった和田アキ子さんは多忙を極めていましたが、そんな中、病院で受けた検査で「子宮がん」を宣告されたのです。

しかも当時交際していたテレビカメラマンの男性と再婚をした直後ということで、公私ともに大忙しの時期に子宮がんが判明し、和田さんは大きなショックを受けてしまいます。

子宮がんって言われて、ほんとに『死んでしまいたい』って思うくらいショックを受けました
和田アキ子、子宮がんの過去「死んでしまいたい」 – 芸能 : 日刊スポーツ

デビュー当時から背の高さや豪快な振る舞いで男扱いされることも多かった和田アキ子さんは、「子どもを産むことだけが自分の夢だ」という強い思いがあったそう。

だからこそ、手術で子宮を全摘出することになった時には、「死にたい」と思うほど落ち込んでしまったのですね。

幸い手術は無事成功し、ご主人の支えもあって、和田アキ子さんは元気を取り戻したのでした。

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吉田拓郎さん(肺がん)

2003年、57才で肺がんを公表した吉田拓郎さんは、予定されていたコンサートツアーを中止して手術に挑みました。

さいわい手術は無事成功し、その年の秋に復帰コンサートを開催。

その後は順調に治療がすすんでいたと思われていましたが、2009年には慢性気管支炎の悪化に伴い全国ツアーを中止する事に。

そのあとも、うつ病発症などがあり体調の良くない時期もあったようですが、70才になられた現在は元気に過ごされているようですね。

癌の中でも、男性の肺がんは深刻な病状になる事も多いと言われているので、吉田拓郎さんが発症から10年以上たった今でも現役で芸能活動されている姿には励まされますよね。


だいたひかるさん(乳がん)

女性のピン芸人としてネタ番組で活躍していただいたひかるさんは、2013年に結婚をしてから、妊活を重視した生活を送るために仕事をセーブしていました。

年下のダンナ様と結婚生活を楽しんでいただいたさん。しかし、2016年1月に受けたマンモグラフィー検査で乳がんが発覚します。

医師から、右胸にしこりがあることを伝えられるまで、だいたさん自身は何も自覚症状が無かったそうです。

「右胸にしこりがあるって言われて触ってみたら、ある。まったく気づかなかったことにビックリでした。その後のエコー検査でしこりが27ミリだって聞いて、でかくない?って思いました。組織検査に進むと言われて怖くなって……」
だいたひかる 乳がんを告白、”右乳房全摘”乗り越えた夫婦愛 (女性自身) – Yahoo!ニュース

27ミリと言えばかなりの大きさに感じますが、まったく気付かなかったということは、痛みなどの違和感も無かったということですよね。

組織検査で癌のステージが『IIA』であると診断され、2月25日に右乳房全摘出の手術を受けただいたひかるさんは、順調にいけば1週間程度で退院できると知らされていたそう。

でも、術後にリンパへの転移も判明。結局『ステージIIB』と診断され、脇の下を切除して腫瘍を取り除く大きな手術を受けることになりました。

3月3日に退院をしたあとは抗がん剤治療がはじまり、現在はずいぶん回復されているようです。

【追記】
2019年3月20日、だいたひかるさんは2016年に全摘手術を受けた右胸の乳がんが再発したことを自身のブログで発表されました。

年に1度の精密検査で4ミリのしこりが見つかり、精密検査の結果、乳がんであったという事です。

現在はまた闘病生活を頑張っておられます。だいたひかるさんの近況はご本人のオフィシャルブログから確認してください。

渡辺謙さん(胃がん・急性骨髄性白血病)

2016年2月、奥様の南果歩さんにすすめられた人間ドックで早期の胃がんが発見された渡辺謙さん。

胃がんは「この時期に見つかるのは奇跡」と言われるほど早い段階のものだったため、内視鏡手術のみでがんを取り除くことができたようです。

手術後は約1カ月の療養期間ののち、主演を務めるブロードウェイ・ミュージカル「王様と私」をしっかりとつとめました。その後も俳優業を精力的にこなし、健康状態は良好のようです。

渡辺謙さんと言えば1989年に血液のガンと呼ばれる「急性骨髄性白血病」を発症しますが、化学療法で健康を取り戻し、俳優活動を再開。

しかし、1994年にまたも白血病が再発してしまいます。もともと急性骨髄性白血病の生存率は50%と言われている上、治療のための輸血が原因でC型肝炎まで発症してしまい、病状はかなり深刻な状態であったといいます。

それでも、病に負けず俳優として復活を果たした渡辺謙さん。

度重なる困難に負けることなく、前向きに闘病を続けてこられた謙さんの姿は、多くのがん患者を勇気づけてくれていますよね。


市村正親さん(胃がん)

2014年7月に初期胃がんを公表した市村正親さん。6月下旬に体調不良を起こし急性胃炎と診断されますが、検査の結果、胃に腫瘍がみつかったのです。

胃の腫瘍の病理検査で胃がんと診断され、市村さんは出演中のミュージカル『ミス・サイゴン』を休演することになりました。

もともと、最初の体調不良の段階では「ただの胃炎だろう」と、軽く考えていたという市村さんですが、妻の篠原涼子さんに詳しい検査をすすめられ、胃がんの発見に至ったのだそうです。

幸い、胃がんは初期のものであったため、腹腔鏡手術でがんを切除することができました。その後、療養を経て10月に舞台の稽古に復帰をされているということで、早期に回復ができて本当に良かったですよね。

がんは早い段階で発見することがとても大切ですが、そのためには、家族からのアドバイスがすごく役立つということが分かりますね。自分だけなら無理をして頑張ってしまうことも多いですが、家族から「きちんと検査を受けて!」と言われると、仕方ないなって思いますものね。

市村正親さんは胃がんの手術後の再発もなく、舞台俳優として精力的に活動を続けています。

宮迫博之さん(胃がん)

2012年、6年ぶりに受けた人間ドックで初期の胃がんが発見された宮迫博之さん。

雨でドラマ撮影が中止になり、2日間休みが取れたタイミングで「思いつき」で人間ドックに行った宮迫さんですが、そこでまさかの胃がん宣告。医師からは「放置すれば余命半年」と言われ、めまいで地面が揺れたように感じるほど驚いたそうです。

念のためにセカンドオピニオンも受けましたが、やはり胃がんであるとの診断結果でした。ただ、幸い初期だったため、胃の3分の2を切除する手術のみで抗がん剤などは使わずに済んだということです。

20日間の入院中にリハビリを頑張り、撮影中だったドラマも降板すること無く復帰ができた宮迫さんは、脅威の回復力の背景には、息子さんの力強い応援があったことを明かしています。

「お前胃がんって知ってるか?」って言うたら「パパ胃がんなん?」と。泣くかなって思ったんですけど「パパは大丈夫や、パパは大丈夫な人やから」って言うて。結局1回も泣いてないですね。こいつのために大丈夫であろう、と思いました。
対談:櫻井翔×宮迫博之 ~がんと向きあった経験があるから、がん保険について話しておきたいことがある。~ ③ | アフラックのがん保険がよくわかるサイト

今もテレビで元気で活躍を続けている宮迫さんを見ると、癌患者だったなんて、まったく感じないですよね。

宮迫さんは胃がんにかかってから健康管理に更に気を付けるようになり、今でも1カ月に1度の血液検査で身体の調子を把握するようにしているそうですよ。

小堺一機さん(原発不明頸部(けいぶ)リンパ節転移)

2004年に「原発不明頸部(けいぶ)リンパ節転移」という珍しい癌にかかっていることが発覚した小堺一機さん。「原発不明頸部(けいぶ)リンパ節転移」とは、癌からの転移であるにもかかわらず、元々の癌(原発)が分からない悪性の腫瘍のことをいうのだそうです。

小堺さんの癌ができた場所は首だったそうで、ヒゲ剃りの時にぽこっとしたシコリがあることに気付きました。痛みはなかったものの、念のため病院で患部を切り取って調べる検査を受け、癌の腫瘍であることが判明。

治療は手術で取り除くしかないということで、仕事をお休みして入院することになりました。

「もうジタバタしても仕方ない」という心境で、お医者さんに任せて気楽にしていたと言う小堺一機さんは、術後の経過も問題なく仕事復帰ができたそうです。

家族もドラマのような特別な感じはなくて、普通でした。毎日病院に来るわけでもなかったし、家族って本当はそんなものだと思いますね。距離感というか、普通でいてくれたことが良かった。あえてそうしてくれたと思っています。
【話の肖像画】タレント・小堺一機(4)がんを乗り越え現場復帰(2/2ページ) – 産経ニュース

今は、同じ病気にかかった人からお手紙をもらうこともよくあるようで、「頑張ってくれとは言いません、今は我慢してください」とエールを送っているのだそうです。

間寛平さん(前立腺がん)

2010年1月「アースマラソン」の挑戦中に前立腺がんが発覚した間寛平さん。

幸い、前立腺がんは初期のもので転移もなかったため、ホルモン療法を続けながらマラソンを続けました。

薬の副作用で朝は身体がだるく走るのがつらかったそうですが、午後になると調子が良くなり、1日に50kmもの距離を走っていたと言います。

そんな中、サンフランシスコに名医がいることを知った寛平さんは、アースマラソンを一旦中断し、一カ月半の治療生活へ。

サンフランシスコで受けた放射線治療は無事に成功。術後4日目にはビールを飲み、トレーニングも再開。その後、アースマラソンを再開し、2011年1月に完走を果たしました。

今では前立腺がんになる前よりも元気に過ごしているという寛平さん。

マラソン中でこまめに検査をしていたことで、早期発見につながったのが良かったのかも知れないですね。

南果歩さん(乳がん)

南果歩さんは2016年2月に人間ドックを受けたことで、早期の乳がんであることが分かったそうです。

「仕事に支障がでないように」との思いから、人間ドックから再検査を受けるまでの期間、まだ乳がんと確定していない段階で手術の段取りを始め、ドラマの撮影が終わった直後の3月11日に右乳房の腫瘍を切除する手術を受けています。

ドラマや舞台のスケジュールを考えてバタバタと手術まで決めてしまったため、「乳がん」という実感が湧いてきたのは手術後のことでした。

発熱や倦怠感など術後のダメージに悩まされ、出口が見えない不安が押し寄せてきたこともあったそう。

退院後は、一カ月後に迫った舞台稽古のためにヨガやストレッチ、マッサージで回復につとめ、無事に舞台を務めることができたということで、ご本人も安心されたようです。

舞台が終わった時は本当にほっとして、やり遂げたという自信にもつながりました。やはり仕事は絶対的なモチベーション。手術後につらいことばかり考えるととても乗り切れませんが、ちょっと先を見据えて明るい方向に目標設定し、旗印を立てていくのが大事でした。
朝日新聞「もっと知りたい乳がんのこと」南果歩さんインタビューより

やっぱり、仕事が控えていることはプレッシャーにもなりますが、それが力となって前向きに頑張れることもありますよね。

南果歩さんは乳がんになってから、これまでよりも「人生を楽しもう」という気持ちが強くなったのだそうですよ。

麻木久仁子さん(乳がん)

麻木久仁子さんは2010年に脳梗塞を発症したものの、仕事がなくなることを恐れて脳梗塞のことは公にせず働き続けていましたが、そうした無理がたたったのか、2012年に受けた人間ドックで乳がんが見つかります。

左右の乳房の部分切除手術を受けることになり、仕事の制限が出ることを見越して、今度は乳がんであることを公表しました。

ステージゼロの非浸潤がんでした。乳管の中にがんができて、その乳管を破ってしこりを形成するんですけど、それより手前、乳管を破る前の段階。がんと分かってからも「え? どこ?」「これはアバラ?」なんていう感じで(笑)。
【健百】麻木久仁子さんインタビュー(脳梗塞・乳がんとの闘い)(2) | あなたの健康百科

乳がんの部分切除を受けたあとは、週5日の放射線治療を1カ月半くらい通院で行なったという麻木さん。

並行して行なっているホルモン治療は5年間続ける必要があるそうで、現在は4年終わったところなのだそうです。

麻木久仁子さんは、がん患者が闘病後に社会復帰できることがすごく大切だと考えられていて、インタビューの中で「病院の治療と職場のシステムがリンクするような仕組みがあれば」と語っていましたよ。

原千晶さん(子宮頸がん、子宮体がん、リンパ節への転移)

原千晶さんは30歳の時に下腹部の痛みや不正出血に違和感を感じ、産婦人科を受診したところ、子宮に腫瘍があることが判明しました。

まずは腫瘍を取り除いて検査する円錐(すい)切除術を受け、検査の結果、「子宮頸がん」であると診断されたのです。ステージは、Ⅰa期(早期がん)だったそうです。

医師からは子宮の全摘出をすすめられましたが、30歳という若さから「子宮を残したい」という気持ちが大きく、経過観察しながら温存することに。

それから数年は何の違和感も無く元気に過ごしていた原さんですが、手術から約5年たったある日、まるで尿のようなサラサラしたおりものが大量に出ているのに気付きます。

あきらかに普段とは違うおりものと同時に、脂汗が出るほどの下腹部痛もあったそうです。

仕事の合間を縫ってかかりつけの病院を受診すると、医師から、頸部に腫瘍ができていることと、おそらく転移したがんとみられるということを告げられました。

 先生は「これは間違いなくがんで、しかも進行しているから一刻も早く手術しないと命に関わります」と言いました。私の場合は「広汎子宮全摘出術」という術式で、子宮だけでなく卵巣や卵管、骨盤内のリンパ節も摘出しなければならない、さらに、手術が終わった後は抗がん薬治療を6クール行うまでが1セットの治療だという説明でした。手術さえすれば治ると勝手に思い込んでいたので、抗がん薬という言葉を聞いたときは打ちのめされました。
【健百】原千晶さんインタビュー(子宮がんとの闘い)(1) | あなたの健康百科

結局、卵巣や卵管は温存して子宮のみを取り除く手術を受けた原さんですが、術後の病理検査でリンパ節への転移が見つかり、抗がん剤治療が始まります。

リンパ節への転移もあったということで、最終的なガンのステージはⅢ期。医師から転移を告げられた時には相当ショックを受けたそうですが、家族に支えられながら抗がん剤のつらい副作用も乗り切ったのだそうです。

今ではテレビでも元気に活躍されていますし、がん患者のための「よつばの会」で闘病中の方のサポート活動も行なわれています。

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鳥越俊太郎さん(直腸がん、肺がん、肝臓がん)

鳥越さんが最初の異変に気がついたのは2005年の夏、便に赤いものが混じっているのを発見してからでした。時には便器の中が真っ赤に染まるほどの血が出ていたそうですが、鳥越さんは元から痔があったため、痔からの出血だろうと考えてしまったのです。

しかし、出血に加えて下腹部の鈍痛、下痢、便秘など、普段とは違う症状に気付いた鳥越さんは9月の終わりになってから虎ノ門病院の人間ドックへ。

大腸内視鏡検査の結果、進行性の直腸がんと診断された鳥越さん。がんの腫瘍は約3センチ大になっていましたが、それとは別に約1センチのポリープもあることが判明しました。

50代の頃まではこまめに人間ドックを受診していたそうですが、がんが発見される数年前から多忙を理由に受診を怠っていたそうです。そうした隙間のタイミングでがんが育ってしまったのだとしたら、すごく残念ですよね。

10月に入ってすぐに直腸がんの腹腔鏡下手術を受け、その時点では転移は見つかりませんでしたが、大きくなったがんは腸管の壁まで突き破っていたことが判明。

医師からは腹膜転移(腹膜播種)があるかも知れないと説明されたそうです。

そして、直腸がんの手術から2年後に肺への転移が確認され胸腔鏡下手術を2回受けますが、またその2年後に今度は肝臓への転移が発見されて開腹手術。

さらにその2年後に喉や食道にも転移が疑われる病変が発見されましたが、検査の結果がんではないことが分かったそうです。

3つのがんを経験して大変な闘病をされた鳥越さんですが、73歳になった今では、なんと直腸がんにかかる前よりも健康的に過ごしているのだとか。

お酒やタバコはやめて、睡眠は6時間以上。週に3度はジムに通って体力をつけているという理想的な生活。

一度、がんで苦しんだからこそ、健康への意識がより強くなったのでしょうね。

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生稲晃子さん(乳がん)

生稲晃子さんが最初の癌に気がついたのは2011年の3月だったそうです。

久しぶりの人間ドックで初期の乳がんが発見され、生稲さんは乳房を温存する部分切除の手術を受けました。術後はホルモン療法と放射線治療を続けていましたが、翌年の春に乳がんが再発します。

再発した乳がんはニキビのようなデキモノだったそうですから、もしもこれが1度目なら見落としていたかも知れませんが、ずっと再発を意識していた時だけに、すぐに異変に気付くことができたようです。
2度目の乳がんも部分切除をしましたが、またも再発してしまいます。

3度目の手術の際に、「もう1度再発したら命が危険」と医師に伝えられ、その時はじめて死を意識したという生稲さんは、乳房の全摘出をする決意をしたそうです。

その後、癌の再発・転移はなく、乳房の再建手術も受けられました。

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