辻仁成さんの『父 Mon Père』は、2017年5月に出版された小説です。
初出は「すばる」2017年1月・2月号に掲載された『ぼくの父さん Mon Père』で、単行本の出版にあたり改題されています。
パリで男手ひとつで息子を育てた小説家と、幼少期の母との別れに複雑な思いを抱きながら成長した息子・充路(ジュール)。
『父 Mon Père』では、パリで生まれ育った充路が大人になり、運命的な女性と出会い、両親の生きてきた過去と自らの未来に向き合う様子が優しく描かれています。
2014年に女優の中山美穂さんと離婚したのち、息子を引き取りシングルファーザーとしてパリで子育てを続けた辻仁成さん。
この『父 Mon Père』は、20年後の自分と息子さんの未来をイメージして執筆されたそうです。
本文には、辻さん自身の葛藤や苦悩、また、いつか大人になる息子さんへの優しいメッセージも込められているように感じました。
今回は辻仁成さんの『父 Mon Père』のあらすじや解説、作品の魅力をお伝えしていきます。
『父 Mon Père』あらすじ
充路は日本人の両親を持つパリ生まれの青年。オーベルカンフで一人暮らしをしながら、日本人向けの語学学校で働いています。
恋人や父にも内緒で、こっそり小説を書いては老舗の出版社に持ち込んだりしているけれど、小説家の父親の影響か、「作家の収入など期待できそうにない」と感じ、「職業作家を目指しているわけでもない」と、自分を納得させているのです。
小説家としてピークを過ぎた父親は新刊を出す予定も無く、小説より稼げる書道家として、「墨絵と書が殴り合ったような」でたらめな作品を、「アジア趣味の西洋人」に売って収入を得ていました。
充路の母親は、充路が幼い頃に自動車事故で亡くなっています。
充路は幼すぎて、母がどのようにして世界から旅立ったのか知りません。父親は充路に、母親の死について多くを語ろうとしなかったからです。
事故があった日から一週間ほどが過ぎていた。パパが、
「ママが事故にあって、遠い世界へ旅立ったよ」
と日本語で告げた。聞き間違えたかと思い、何度も訊き返した。パパはフランス語で、ママは死んだ、とはっきり言った。
母の死後、父は充路にぴったり寄り添うようにして暮らすようになりました。
幼い息子が母の不在を悲しまないように、1人ぼっちの不安に苛まれないように、父は朝早くから味噌汁を作り、登下校に付き添い、「まるで影法師のように」息子とともに生きたのです。
パパにもしものことがあったら、僕は一人になる。でも、この心配は杞憂に過ぎなかった。パパは大病をすることもなく、まるで影法師のようにぼくに寄り添って長い年月を生き抜いてきた。振り返るといつもそこにいたし、「パパ」と呼べば、必ず、「なに」と返事が戻ってきた。
父と息子、2人の静かな日々は続き、大学生になった充路は父のすすめで一人暮らしを始めます。
そして、運命の鍵を握る女性、リリー・マルタンと出会うのです。
リリー・マルタンは、充路の母が亡くなった自動車事故で、車を運転していた男の娘でした。
大好きな自分のパパと、あなたのママが、なぜ一緒に死んだのか、なぜ同じ車に乗っていたのか、その理由を知りたいとリリー・マルタンは充路に迫ります。
「知りたくない。ママがなぜ君のお父さんの運転する車に乗っていたか?それはもうどうでもいいことなんだよ。そんなの一々解明しなきゃならないこと?どっちだっていいよ、そんなこと。君のお母さんも、ぼくのパパも、誰もその忌まわしい過去を掘り返されたくないんじゃないか?」
悲しい記憶に蓋をして生きてきた充路にとって、リリーと向き合うことは苦しいことでした。
しかし、いつか二人の心に通じ合う何かが芽生え、お互いに惹かれ合うようになるのです。
リリーは大学の研究室でwater bear(クマムシ)の観察をしてレポートを書いていました。
water bearはクリプトビオシス(無代謝の休眠状態)で劣悪な環境を眠って過ごし、120年生き抜いた例もあるという虫です。
乾眠状態で長い時を過ごしても、水を与えるだけで再び動き出すwater bear。
母の死後に悲しみを避けるため心を眠らせ続けた自分と、死んでも自分の心に在り続ける母の姿を、乾眠状態のwater bearに重ね合わせる充路。
大人になった充路は、時折起きる父親の健忘症の発作や、リリーとの結婚問題、新しい家政婦が引き起こすトラブルに翻弄されながら、父と母の物語に向き合う決心をします。
母はなぜリリーの父親とともに死んだのか?
充路が母の死を乗り越える時、父もまた、妻の死を受け入れ記憶の糸をたぐり寄せ始めるのです。
解説 : いつでも、どこにいても。
辻仁成さんを知っている人なら、この作品を読んで辻さんと息子さんの生活に思いを馳せない人はいないのではないでしょうか。
辻さんの息子さんにとって、母親である中山美穂さんとの別れはあまりにも唐突で、その悲しさや寂しさはかなり大きかったのだろうと思います。
私はずっと辻さんのTwitterをフォローしているので、その当時、どれくらい辻さんが息子さんを必死に守ろうとしていたか、リアルタイムに見ていました。
なので、『父 Mon Père』の中にある、息子目線で描かれたシングルファーザー家庭の父親像には、辻仁成さんの「願い」のようなものを感じずにはいられなかったのです。
「お父さんがいなくなったら1人ぼっちになってしまう」という息子の不安。
でも、そんな不安は杞憂だと感じるくらい、いつだって近くで影法師のように寄り添っている父親。
「パパ」と呼びかければ、必ず「なに」と返事がある。
辻仁成さんは、息子さんにとってそういう存在でいたかったのだと思います。
ふと不安になった時、振り向けばいつも息子を見守ってくれている父親。声をかければ、どこからでも返事が返ってくる。
母親に変わることはできないけれど、別の形の大きな愛で、息子さんを包み込みたかったのでしょう。
両親の不仲を乗り越えて
充路の両親は、母の死の前から不仲になっていました。充路は、かつては満ち足りていた母が少しずつ変化していくのを幼いながらも理解していたのです。
子供の立場で考えれば、両親の仲は上手くいっている方が良いに決まっています。
でも、そんなに都合良くいかないのは、物語の世界でも現実の世界でも一緒。
たとえ親でも、人にはそれぞれ事情があって、愛する子供の為とはいえ、感情をコントロールすることは難しい。
ですから、両親の不仲で子供を傷付けてしまったとしても、それをいつか理解してくれる日が来るまで、親は子にそっと寄り添いながら辛抱強く待つしかないのだと思います。
彼らがうまくいかなかったことはぼくには関係がない。知ったかぶりかもしれなかったが、人生というものは、いろいろなことの積み重ねである。それはそれで仕方のないこと、と割り切るしかなかった。とくに一人っ子のぼくにとっては……。
これは、「そう考えて欲しい」という、辻さん自身の思いなのかも知れません。
仕方がないと割り切って、強くなって欲しい。
同じ境遇の親なら、共感する人も多いかも知れませんね。
子育てをしていると、「親の事情も理解して欲しい」って子供に対して感じることは多々あります。
充路の父親のように、それをあえて言葉にせず静かに寄り添うことで伝えるというのは、不必要に子供を傷付けずに子供自身に考えさせる良い機会になるのではないかと感じます。
時間はかかりますが、時間をかけなくては伝わらないことって絶対にありますからね。
辻さんの作品に感じる母性
辻仁成さんの小説はこれまでにもたくさん読んできたのですが、ほとんどの作品に共通して、「母性」のような静かでひたむきな愛情を感じることが出来ます。
離れていてもどこかで暖かく見守っているような、いつも味方でいてくれるような、まっすぐな優しさが辻さんの小説には宿っていて、時々涙がこぼれそうになることもあります。
それは、辻仁成さんの本来の穏やかな性格が作品に浸透しているのかも知れませんが、とにかく私は辻さんの小説が大好きで、読むだけで心が浄化されるのです。
今は親離れするくらいに成長した息子さん。きっとこれまでに注いでもらったお父さんの愛情が、心の栄養になっていることでしょう。
神様がいるかどうか、息子に質問された。さあ。でもいるとしたらすぐそこにいるかもね。え? どこ? そこ。どこ? そこだよ、見えない? 広大な世界をぐるりと見渡し、息子くん、笑いました。
おやすみ、日本。よく生きました。とんとんとん。 pic.twitter.com/9JQRYZxQIS
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) 2017年8月18日
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